2013年7月27日土曜日

検察 証拠開示

7月5日の静岡地裁裁判官から、弁護団が開示請求をしていた証拠が26日開催の三者協議の場で開示されました。検察官は今回の証拠開示に際して、「条件付きの開示」を意見書として裁判所に提出しました。

2013年7月13日土曜日

選挙サンデー

 選挙サンデーの浜松駅前ではすでに2党が演説中と待機中。演説の背後を通行中のみなさんに袴田さん救援の署名を呼び掛け。維新の会は自分たちの演説が始まるやすぐにこちらのマイク使用制限を要求。「許可を取っているから」と中止要求。「毎月この場所で署名活動中である」と表明し、時間的経過もあり我が方は署名終了としました。
  今回は署名活動初参加の方が3名おいでいただき、演説を聞く聴衆の雑踏の中で、大いに頑張っていただきました。

2013年7月5日金曜日

事件を作り上げる検察


6.28 巌さんの実家から押収したベルトが巌さんの物であると検証。事件を作り上げる検察の常とう手段。巌さんが使ったという証明はできるのか。仮に使ったとして、いつ頃、ベルトのどの穴を使っていたのかどうのように証明できるのか。5点の衣類のズボンに使われたベルトにして、巌さんの有罪を維持しようというもの。
いつまでたっても、事件を作り上げる検察の姿勢は変わりません。

僕のこと覚えていて

 1957年(昭和32年)Yさんが小学校5年生の時の出来事。浜松駅から昼間の時間で乗客がほとんどいない列車に一人で乗っていた時、通りかかった人が振り向き「僕のこと知ってる」と話しかけられたようです。「僕の名前は○○イワオと言うんだ。ボクシングをしているんだよ。頑張って今にもっと有名になるから、僕のこと覚えていて。今から清水に用事があって行くんだ」。と言って次の車両に進んでいったそうです。
 その時の様子は、20歳くらいで、嬉しくて仕方ない風な笑顔で、将来に希望があふれている様子だったようです。Yさんはその時のたった2~3分のことを記憶していることが不思議でならないと話しています。
 2~3年前、夕食時のテレビ番組で「袴田巌元ボクサー無実の死刑囚が・・・」と流れているのを見て、「もしかしてあの時の青年が?・・・」と驚いたようです。それまで事件のことはあまり知らず、友人にその話をしたところ、友人の友人がひで子さんのお姉さんと一緒に働いたことがあったことから、巌さんの手紙が掲載されている本を読み、めぐりめぐって最近ひで子さんに手紙が届き、6月18日にYさんとひで子さんの面会が実現しました。