2018年8月23日木曜日

映画「48yers 沈黙の独裁者」評

砂入博史「沈黙の独裁者」によせて

20188月、砂入博史制作の映画「沈黙の独裁者」を見た。この映画は2015年初夏、袴田巌さんへのインタビューを編集したものである。そこには48年の拘禁から20143月末に釈放されて1年を過ぎ、外へと散歩に出かけ始める前の巌さんの発言がまとめられている。
 拘禁によって、巌さんの言葉は意味不明のようであるが、巌さんのなかでは文意は通じている。単文で切りとり、構成を組み替えれば、何がいいたいのか推定できるときもある。袴田巌用語として、その含意を理解することが必要なのだろう。
 出獄後、巌さんに「好きな言葉は」と聞くと「真理」と答えた。当時、巌さんは家の中を独房での生活が続くように、歩き続けていた。言葉からは、監獄の中で自己を神と措定して、歩き続けて身体を維持してきた。真理の実現はすなわち解放であり、その真理の実現を念じ続けてきたようだった。
 映画での巌さんの発言には、真理だけでなく、歩く、勝つ、理想、権力、ばい菌、儀式、神、悪魔、無実といった言葉が出てくる。48年間の孤独な監獄での自問と生への限りない欲求、再審実現と無罪解放への詩情が、袴田巌の独自の拘禁世界形成とその世界を示す用語になったのだろう。
 映画での巌さんの発言から受け取ったメッセージは、真理を実現したい、神となって権力を持ち、拘束する悪魔と闘い続ける、信じて闘って勝ちたい、勝つことが生き抜くことだ、歩き続ける、身体を機械のようにし、強くする、人間としての夢と理想があるんだ、国家に無罪を認めさせる、跳んで歩け、幸せを感じようというものだった。
 映像での、巌さんの拘禁の影を持つ言葉から、見る側はさまざまなメッセージを受ける。映像制作にあたり巌さんは「尊厳のあるもの映像を」と監督に注文したという。巌さんは尊厳をもって発言している。巌さんの現在を知るために、欠くことのできない映像である。
 20186月の東京高裁決定は、「国家に間違いはない、国家はねつ造しない」とする現在の国家意思が、裁判官の身体を通じて体現されたものだった。巌さんの尊厳は侵されたままである。巌さんは、このような国家との闘いで、自己を神へと疎外させ、呪文を唱えるように歩き続けて、生を維持してきた。映画をみながら、その尊厳回復に向け、再審・無罪を勝ち取るために、巌さんと新たな一歩をすすめたいと思った。(T
                     浜松人権平和 ホームページより転載          

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