№1 高検で入り口方向を見る。この前方に警備員が・・・。(左上)
№2 何を思ったのか向きを変える。引き止めようとするひで子さん。(右上)
№3 さっさと階段を下りようとする。唖然とする小川さん。(中段 左)
№4 引き戻そうとするひで子さんを振り払って。(中段 右)
№5 ひたすら前進。追いかけるメディア。(下段 左)
№6 巌さんの行方を見るひで子さん、西嶋さん、小川さん。傍らに警備員の姿。
(下段右)
3月11日(日)は京都で弁護士会主催の集会があり、ひで子さんは出席予定でした。
この日の朝、ひで子さんが出かける支度を始めたところ、巌さんから「どこへ行く」と尋ねられたようです。「京都へ行く」と答えたところ「西の方か、それじゃ行かにゃ」ということで、急遽同行となったようです。
集会では、壇上であいさつし、シュンポジュームは退席し、京都観光をしたようです。
翌朝は新幹線で東京へ直行。
東京についてからの巌さんは、ひで子さんに腕を抱えられていることに「うるさいな」と、抱えている腕を振り払っていたようです。
14時からの高裁要請のため西嶋弁護士と弁護士会館で待ち合わせ、高裁へ。
以下、メディアの方々から巌さんの様子を聞きました。
1 東京高裁にて
弁護士会館15階のソファーで一休みした後、裁判所玄関に。
ひで子さんは巌さんに裁判所に行くとの説明はしていない模様。
エレベーターに乗って裁判所の15階刑事8部に。要請終了後、小川弁護士が「巌さんに怒られた」と出てくる。理由は、巌さんに「ここは裁判所」と言ったところ、いきなり「うるさい」と怒られたようです。
2 東京高検にて
高検前で足の止まった巌さんに(№1)ひで子さんや小川弁護士が何やら話しかけ、制服姿の警備担当者数人が「どうぞどうぞ」という素ぶりで入るように促した瞬間、巌さんはくるっと向きを変えて逃げ出したような格好でした。(№2) 歩きだす巌さんを引きとめようとした、ひで子さんの腕を振り払い階段付近で、「捕まったんじゃしょうがない」と言ったようです。(№3)
それから一人でどんどん歩きだした巌さんに、後ろから追いながら声をかけるひで子さんに、「離せ」と腕を振り払いました。(№4)
TVカメラクルーが「あっちですよ」と声をかけたところ、「 関係ねえんだ、あんなものは、あいつらばい菌なんだ、ばい菌で死んじゃう」との返事あり。
その後東京の支援者の平野さんが巌さんに追いついて「巌さん」と、声をかけたところでも「終ったんだ」と答えていました。
以上のような11日から12日の巌さんの様子でした。
3 巌さんが触れたくない事柄との直面について
高裁及び高検での巖さんの様子は、拘禁反応の原因の一つである「事件、裁判」に関連した現実に直面した結果であったと思います。
以下、4年前の解放翌日と同じ年の11月22日の巌さんの言葉を紹介します。
2014年3月28日
「世界中で一番強い者として、世界で一番優れた者として、世界で一番正しいと認め
られ、歴史が終わった」と、入院先のベッドでの言葉です。
2014年11月22日
「正しいことで国家権力に勝った。最高裁に勝ったということ。袴田巖は裁決になった
んだから。釈放するじゃ、死刑判決下していたのが、死刑できんのだからね。最高裁が負けたんだ。袴田巖が裁決になっちゃった。権力支配。権力の強さだな。それだけはっきりしているんだね。最高裁が負けりゃ一番強いのが袴田儀式で、検察、裁判所に闘って、一番強いのが最高裁だ。それが袴田に負けたって言うんで、袴田巖が最高裁になっちゃった。」と、表現しています。
そして、「事件も裁判もない」と言い続ける巌さんの妄想的世界があります。
なお、精神神経学会、多摩あおば病院の中島医師による、2008年11月作成の意見
書では、「こうした症状は・・・死刑の確定の後、昭和60年ころから出現している。拘禁反応には、文字どおり拘禁の影響のほか、公判の経緯や他者との関係が影響する。 中略 このころの精神症状の主体である妄想及び幻覚の内容をみても、自らに被害を及ぼす者として拘置所職員を示唆し、それが次第に強大な力を持つようになり、それに応じて自らも人並外れた能力を持つとの誇大妄想が生じ、それぞれに対応する幻覚を伴っているという意味で、拘禁状況に強く関連したものであることが明らかである。 後略」と、拘禁反応の原因に拘置所職員の存在がある事に触れています。
巌さんのこの日の反応は裁判所と知らず、高検前では警備員と対面してしまい、妄
想によって避けて、隠してきた事柄に直面させられ、その場面を回避しようとした姿であったと思います。「捕まったんじゃしょうがない」或いは「終ったんだ」とか、さらには「関係ないんだ、あいつらばい菌なんだ」と、自分の妄想的世界を崩されまいと、何とか治めてしまいたいという様子であったと思います。
この日の様子は巖さんが抱える妄想的世界に、少なからず打撃を与えたものだと思いますが、翌日の巖さんはいつもと同じように街に出かけています。このことは巖さんの妄想的世界の壁が如何に高く、厚い物であるいう証明だと思いました。(文責:寺澤)
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