袴田巖さんの死刑廃絶のアピール
(死刑制度撤廃1・24集会獄中アピール集より/19080年1月24日)
死刑制度撤廃1・24集会に向け獄中からアピールを送ります。
国家が民衆を殺してよいなどと言うナンセンスなことを黙認するわけにはいかない。
そもそも法律は殺人を最も悪事とも定義しております。然るに、その殺人を国家が法の名に於て執行するとは、正しく今生に於ける極悪の最たるもので絶対許されない筈だ。
権力者なら殺人を犯してよいなどと言う現代悪法の典型は心ある国民の力で廃絶しよう!
「再審の門を開け!再審法改正!」全国集会(1981年7月18日)への
袴田巖さんのアピール
袴田事件 袴田巖
本集会にお集まりの皆さんに、獄中からアピールさせていただきます。
私は昭和41年6月30日未明、静岡県清水市で起こったこがね味噌重役一家4人殺人放火強盗事件で、全く身におぼえのない犯人にしたて上げられた元ボクサー袴田巖でございます。
昭和43年、一審で静岡地裁は私に死刑を宣告しました。そして、昨年11月19日、最高裁は上告を棄却しました。
現在弁護団、無実のボクサー袴田巖を救う会、友人、家族等の力で再審の請求をしていただいております。
私は最高裁で上告を棄却された当時、獄中で胸に湧いた悲しみ、明らかなデッチ上げに対する押え難い怒り、そういうものが終日私の脳裏に錯綜していました。うす暗い牢獄の中で、ついには還暦を迎え腰の曲がった老人となってさびしく死んで行く自分の哀れな姿を想像したりしました。私の人生の末路はこんなふうになるのだろうか。
しかし、身をかかがめて長生きするよりは、堂々と生き、また堂々と進むことが人間らしく、またキリスト者らしい姿ではないかと思う。
彼、巌窟王吉田石松翁に対する権力の犯罪、さらには世には知られることなく葬り去られた幾多の権力犯罪。金森老や加藤老が居り、現在再審を開始させた免田事件、財田川事件・・・、彼らは一生を雪冤にかけたし、またかけている。これら先輩の不墝不屈の驚嘆すべき勝利への戦いの歴史がある以上、私たち冤罪者は泣いてはならぬ。一途に真心で進撃しようと思う。
イエスキリストの弟子達、パウロの苦難に思いを致したい。
私はキリストの福音の中に今日の現実の矛盾と葛藤と苦悩を解決する最も貴重なカギが隠されていると確信する人間である。
こうしたことに到達した獄中生活とは私にとって大変貴重なものである。不自由な中に自由があることを悟り、心の自由さえあれば身はたとえ獄中にあっても私の口に詩や賛美歌や歌が消えることはない。
すべての善人の苦しみのなかに生命は限りなく美しく芳香を放つもの。私は自分が無罪であることを知っている。私だけでなく私を取り調べた捜査官はもちろんのこと、検察官も書記官もすべてのことを知っている。
裁判官にいたるまで私に罪がないことを明らかに知っている。
当局の偽証、物証の隠とく、真犯人隠とくが暴露することを私は信ずる。
裏木戸、クリ小刀、この一つの事実からも私の無実は明らかにされつつあります。
歴史の審判は神の審判であり、本件権力犯罪は神の審判が近く必ず下るだろうと私は確信する。
ご支援を心から感謝します。
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